愛知県も本日1月14日から緊急事態宣言の対象となりました。
岡崎市のコロナ情報を毎日更新し、情報を得ていますが、感染者数は全く減る兆しが見られません。
連日、医療関係、又、救急医療従事者の方は、万全の感染予防体制で対処されておられます。
我々市民は、感染拡大の当事者にならぬよう、日々油断せず、最善の努力をする義務を果たしていきたいものです。
コロナ感染について、ひとりひとりが「対岸の火事」と思ってはいけません。
現在の社会情勢に慣れる必要もありますが、慣れてくることと、感染対策を怠ることは全く違います。
私たちイマージュも、
安心な通い場とは何かを考えた時に、最低限以下の3点が備わっていなければならないと考えています。
①消毒や検温の体制が整っており、体調不良者との接触を回避できる。
②常時、空気を循環し、また、マスク非装着時等に会話等がないように管理でき、飛沫感染が起こりにくい環境になっていること。
③上記2点を管理できるスタッフと顧客制限が行われていること。
イマージュでは、昨年7月の濃厚接触者利用後に休業を余儀なくされました。
あの1週間の経験を忘れずに、常に気を引き締めています。
もちろん、この極寒の正月以降も対策は怠りません。
消毒、検温、体調確認は当たり前です。
昨年から引き続き気を付けているのは、飛沫感染が起きにくい環境を作るため、事業所内は複数台のサーキュレーターで空気を循環しています。
開閉可能な窓は全て隙間程度で常時換気、30分間隔で全換気(10分〜15分窓全開き)です。
その為、エアコンはフル稼働。
服で調整できるようにお客様にも薄手の服の重ね着を勧めています。
風通しの良い私の事務室は極寒です。
現在も猛威を奮う新型コロナウイルスは、当初は得体の知れないウイルスとして世界中を恐怖に陥れ、病気に敏感な高齢者は外出することに躊躇しました。
そして、
あの頃から1年経ちました。
私たちは正しい知識を持って、正しい行動を心がけなければいけません。
そのためには、入ってくる情報が本当に正確かどうかを判断しなければいけないと思います。
(最後に記した「医療崩壊」という言葉と数字のロジックに翻弄されないためです。)
例えば、
会食の人数制限に何の意味もありません。
なぜなら、ひとりでも感染者がいたら感染する可能性が高いからです。
営業時間の短縮に何の意味もありません。
営業時間中に感染者がいたら感染する可能性が高いからです。
家族以外とマスク非装着で過ごす場には極力参加すべきではありません。なぜなら、飛沫感染が最も恐ろしく、感染経路がたどれないからです。
現実はどうでしょうか。
私の行動範囲はこの1年で、車に乗らない高齢者と同等の行動範囲、もしくはそれ以下になりました。
ストレスはあります。今は仕方のないことだとトンネルの先に光があると信じて過ごしています。
行きつけのお店はテイクアウト(Sき家、Sイゼリヤ)で、十分満足しています。
緊急事態宣言下において、飲食店等の締め付けは大変厳しいものになりました。
しかし、私の個人的な意見として、飲食店内でのコロナ対策は実質不可能ではないかと思っています。
換気は施設側が管理できても、消毒、検温、体調管理は顧客まかせです。
そうならざるを得ません。
しかも、食事中に話せば飛沫が飛びます。
私たちは食事中は、特に口に入っている時に話すのは行儀が悪いと育ってきました。
それでも現実は、食べながら会話をしませんか?
人と会う等の目的でランチに行く方も多いのではないでしょうか。私みたいに早食いの人は、口をモゴモゴして話す時もありますよね。
換気については、施設側が対策できます。しかし、飲食店は衛生面も気を配らなければならないので窓を全開にすることはできません。
GoToトラベルのように特定の産業に焦点を当てて、大勢の人が日本列島を動かす施策にも疑問があります。
それでいて、感染者が増えてきたら緊急事態宣言で急遽中止し、特定の産業を締め付けるというのはいかがなものかと。「一体、何がやりたいんだよ。」と心の声が口に出てしまします。
「感染者を増やさない」+「経済を動かす」
が目的であった筈です。
せめて、県内や市内といった限られたエリアに限定し、感染経路を特定し、封じ込める策はなかったのでしょうか。
人口が少ない観光地は不平等になるため、国民全員に配る定額給付金の予算があるならば、都道府県に交付金を配れたでしょう。
いつまで「with コロナ」の生活になるの?
ワクチンができるまでなの?
終わりが全く見えませんが、
暗い中でもユーモアを忘れずに生活していきたいものです。
まずは自分自身が油断せず、もうしばらくの辛抱と思って頑張っていきましょう。
さて、
昨年4月の緊急事態宣言頃から、テレビなどのメディア情報を見ていると、気持ちが憂鬱になることが増えました。
不安にさせられているような気分になったのは私だけでしょうか。
受動的な情報に慣れてきた私は、いかにもその情報が世の中の全てのように感じてしまいます。
この頃から、テレビの電源ボタンを押して見ることは無くなってしまいました。
殆どの情報はインターネットで仕入れています。
特に太字ゴシック体のテロップで出てくる「数字」には強烈なインパクトがあります。
このように「数字」には説得力があり、大衆への影響は大きいです。
2020年3月24日に東京オリンピックの延期が決定してから、急に陽性者発表数が急増しました。
先日も、緊急事態宣言の要請のタイミングで急増です。
なぜこのタイミングで急増したの?
急増することがわかっていたの?
それとも・・・、かく・・し・・て・・?
と、疑問を持ってしまいます。
数字はインパクトがありますが、言葉と良く似ている面があります。
とある著名人の発言の前後を省いて、ある1文だけを引用した見出しが誤解を生むことがあります。
最近では、医療崩壊という言葉がメディアで飛び交っていますが、昨日、東京慈恵会医科大学の大木隆生氏のコメント記事が以下になります。
「私は以前から、新型コロナの患者でも、そうでない患者でも、救える命が救えなかったというのが医療崩壊の定義だと考えています。昨年春に北イタリアで起きた人工呼吸器の不足に伴う命の選別こそが医療崩壊です。
一方、日本はもう医療崩壊している、と明言した日本医師会の中川会長は、適切な医療が適切なタイミングで受けられなければ医療崩壊だ、と定義していたが、これは違うと思います。日本の大学病院は従来から、3時間待ちで3分診療と揶揄されます。中川先生の言葉を借りればこれも医療崩壊にならないでしょうか?
東京都内で新型コロナのために用意されている一般病床4000に対し、3000以上が埋まっていて、病床使用率は9割だ、と言われたら焦ります。
ICUベッドも250床のうち、129(1月10日時点)が埋まり、5割を超えています。
実はこの数字にはウラがあると言われます。
都内の病床数は「106240」。
ICUとHCU(準集中治療管理室)を合わせて「2045」。
250分の129という数字を語る際、少なくともハードウェアのキャパシティがこれだけあることを知る権利が国民にはあリます。
都内のベッド数「106240」のうち、3500の使用率は3.3%。
ICUも2045分の129なら6.5%程度です。
新型コロナ用として使われていない病床やICUを柔軟に運用すれば、医療崩壊など起こるわけがないと語っています。と。
いかがでしたでしょうか。
数字の裏までを素人が探ることは難しいかも知れませんが、数字の背景にあるコンテキストを知らないと、見せられた情報に翻弄されてしまいます。
先述した、正しい知識と正しい行動を心がけること、それが出来るために、全ての情報に翻弄されないこと、それこそが「withコロナ」の「今」を生き抜くコツではないかと思います。